人って、存在するだけで価値のあるもの?

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笑顔って、仮面だよね。

そんな話をした。

人を信用できずに、笑顔を使って、本当の感情を隠す。

たぶんそれは、続けていくと本当の感情を見失う。

周りの雰囲気に合わせて笑うのは、人気者気質、あるいはキョロ充かな?

笑顔という仮面をかぶって、本当の自分を消している。

自分を消す理由は、自己嫌悪が大きいと思う。

素の自分を出したら、存在価値もない人になってしまう。

素の自分を出したら、嫌われてしまう。

そんな風に思うから、偽りの自分を作り上げてしまうのかもしれない。

俺は今、そんな状態から脱したい。でも、素の自分って何だっけ?

好きとか嫌いとか、怒りとか悲しみとか、そんな感情はあんまり涌いてこない。

嫌われるかも知れない、そんな恐怖から逃れるために、他人との距離を置く。

はじめから嫌われも好かれもしない無難なポジションを確保する。

嫌いな人はいない。かといって、好きな人もいない。全ての人に、無関心。

「まぁ、人それぞれでしょ」「しょうがないね」「この人とは合わないね」なんて言いながら、黙って距離を置く。

「性格なんて、何種類かのタイプで分けて終わりでしょ」「顔以外はだいたいみんな一緒」なんて言いながら、無関心を貫く。

その考え方を他人にも投影するから、自分も、誰からも関心を持たれないと思う。価値もないと思う。

すごく寂しい考えかただけど、自分のなかのそれを壊せない。自分も、他人も、量産されるロボットに見立ててる。

「全ての人間は等しく尊く、価値を持つ」なんて、牧歌的な人権主義には興味がない。根拠もクソもないから。

「全ての人間は代替可能」大いに納得する。だって、一部の突出した人を除けば、みんなおんなじようなもんだし。

けれども、例外は芸術の分野の人間。

その人にしか創れない、独特の世界観がある。

“自分や、他人をどこまで深く見つめられるか、どこまで興味を持てるか。個人個人の違いはどこにあるのか。”

“どんな違いが、その人の価値を規定してるのか。どうやったら、人を愛せるか、自分は愛されるか。”

そんなことばっかり考えてたけど、個人をひとつの芸術品になぞらえると、そんな他人との差異がなんだの、はどうでも良くなってくる。

そこが「人類総ロボット」っていう観念を壊す鍵になるのかなと、友達と話しながら思う。

「なんとなく、この人好き。」「生まれてきてくれて、ありがとう。」

そんな優しい言葉を言えるように、また言われるように、自分の感情を掘り起こしていきたい。

そんなことを考える、誕生日でした。

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