死にたい人は、植物の生き様を見習ってみては?

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どーも。まるです。

死にたいってブツブツ言いながらながら今日も生きてます。どーも。

家庭菜園がマジで思考の材料になるみたいで、めっちゃ良い事思いつきました。

まぁ毎日死にたいとか生きてる意味ねぇ〜。とか無気力に考えてるんですけど、 今日は深く突っ込んで考えてみました。

生きてる意味って何?。

 

例えば。

あなたが育てている一輪の花があったとします。 毎日毎日、丹精込めてお世話をしていました。

その花が突然、枯れてしまったら? とても悲しいですよね。悲しい。

愛を込めて育てたこの花の死は、愛情を込めていればいるほど、そのぶん悲しいものになると思います。

で、じゃあ、この花が生きている意味は何だったか。

あなたの愛を精一杯受けて、すくすく育つ姿を見せること。

そして綺麗な花を咲かせて、あなたを笑顔にすること。 でしょうか。

あなたにとっては、この花が生きる意味など考える余地もないと思います。 考えるまでもなく、この花が生きる意味はありました。

 

でもじゃあ、花の立場に立ってみると。

生きてる意味とか、考えてますかね? 誰かを喜ばせたい、とか考えてますかね?

違いますね。ただただ、自分の生を全うしただけです。

ただただ毎日、生きていた、でも突然、死んだ。その事実があるだけです。

生きる意味や生きる価値は、他者から与えられるものみたいですね。

花が生きる意味や価値は、人間である私たちが後から与えたものに過ぎません。

 

では、人間様にとって意味や価値が無ければ、存在してはいけないか??と問われると、そうではないですよね。

人間様に害を与える植物は、存在してはいけないのか??そんなことはないですよね。

存在そのものを、否定したり肯定したりは出来ない筈です。 ただそこに在るだけ。その存在の事実があるだけ。

良いも悪いもない。良いか悪いかは、「○○にとって」という前置きが必要ですね。

「誰かにとって」、「人間にとって」良い、悪いという評価は、花自身の存在自体を肯定したり否定したりする理由にはなりません。

 

じゃあ、この花をあなたに置き換えてみると。

あなたが生きる意味や価値、は他人が勝手に与えるものです。

あなたは親からの愛情を受けて育った。 だから、すくすく育つその姿を見せることは、「親にとって」価値のある事です。

あなたには、仲良くしてくれている友達が何人かいる。 あなたの生は、「その友達にとって」意味のあることです。

あなたが生きる意味も価値も、あなたへの良い、悪いの評価も、ぜーんぶ他人が勝手に規定したものです。

じゃああなたが存在してはいけないか?? いーや、そんなことはないですね。

誰かに存在まで否定される理由はどこにもありません。

「人間にとって」害だから、害虫を駆除する。人間のエゴですね。(別に悪いとは言ってません)

害虫を駆除してもいいと決めたのは、人間ですね。

戦争なら、人を殺していいと決めたのも、人間ですね。

本来、それは許されないことですよね。存在を否定することに等しいから。 (とはいいつつ僕も家にゴキブリやハエが出たらブッ殺します)

誰かや何かの存在自体を否定する権利は、誰にも与えられていないはずなんです。

だとするならば、どんなに害虫のようなクズ人間も、存在自体を否定することは出来ませんね。

 

とすれば、答えは。

以上に述べてきたことから、「生きてる意味なんてある??」に対する答えは、

「誰かにとってはきっと意味があるし、後付けでなら色々あるけど、本来的には生きる意味なんて無いからw」です。

あるいは 「ただ存在するだけだから、意味とかはあんまねーよw」

「ただ誰も、存在自体までは否定できないから、生を全うするべきである。」 てところですかね。

だから、「自分は迷惑ばかりかけてるから、生きてる価値がない」という理屈は通用しませんね。

花を育てるのにどんなに手間がかかろうと、それを迷惑とは思わないのと一緒で、 迷惑か迷惑じゃないかは他人が勝手に決めることです。

 

「あんたは精一杯生きてればそれでいいんだ。」

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