どことなくコキタナイ、自称真面目系クズ。天パ。
のんびり系フリーターのまるです。
受験勉強をゲーム感覚でやり込んで、大学に合格したものの、やりたいことは特になし。
某ラーメン屋のアルバイトで失敗続き→自信喪失。
女の子がかわいいという理由でカフェバイトを始める →仕事出来なさすぎて干される
発達障害の授業に偶然出会う。→これ俺じゃね?
経験、技術のない自分はお金をもらう価値もないと考えて →ボランティアを始める。
当初とは逆に、お金を得られないのに身を削ることに疑問を抱く →1年半で辞める。
流れに身を任せ、将来のビジョンも見えぬまま就職活動 →嘘と虚勢にまみれた無意味な活動に嫌気が差す。→3月時点で辞める。
就職活動全盛期の3月にパチンコ店でアルバイトを開始。意外に居心地がよく、大学に行かず約一年、半フリーター生活 →バイト先で内定を頂いたものの、卒論を書けず留年。
何かやらねば生活できないので、個人店の居酒屋兼うどん屋で働き始める。
めちゃ通ってたダーツバーでバイトに誘われ、働き始める。→掛け持ちがキツくてうどん屋辞める
ダーツとスロットとバイトに明け暮れる毎日。→気付いたら卒論提出が迫ってる →無理じゃね? →再び留年。
大学5年目の記憶がマジでない。→遊びすぎ
大学6年目、ダーツバーに加えて漫画喫茶で働き始める →干される気配を感じて速攻で辞める。
今年こそは卒業しないとマジでヤバい、と本気出す。 →なんとか間に合って卒業。
文句もいろいろあるけども、結局は自分のせい。 →結局なにしに大学行ったのかサッパリわからない。
就職せずに、居心地のいいダーツバーでゆるっと働きながら、貧乏暮らし ←New!
このような感じで、クズっぷりが浮き立つ大学生活でした。バイトしたお金はダーツとパチンコと風俗に消えました。
あと気が弱いのでブラック労働と同僚のマウンティングに精神をやられました。
そして、お金を稼ぐとはどういうことか、仕事をするとは? 社会の一員になるということは? 生きる意味とは?? 何も考えてこなかった自分が、就職活動という壁に当たり、自分の生きる道を本気で考えました。
未だやりたいことが見えず、迷走状態。
「やりたいことがなくても、とりあえず就職すればいいじゃない、人生を掛けて見つけるものだよ。」
その通りです。
でも、今までの経験からして、普通の職場で生き残れる自信はない。なぜなら、業務上の意思疎通が上手く図れず、私的なコミュニケーションも苦手だからです。
幾度となく、私の考えるところそれが原因で「干され」て、精神を削ってきました。
私の趣味はダーツです。これは、個の技術を極めていくスポーツです。私はこれがとても好きです。
私は高校までの13年間、サッカーを続けていました。これは組織的に強くなることを求められるスポーツです。私はこれが苦手でした。高校時代は惰性で続けていただけです。とても嫌いでした。
苦手とはいえ、個人としての技術には自信がありました。ひたすらボールに触っていたからです。個としての技術はそれなりのものがあったと自負しています。
当時は組織としてのサッカーではなく、一対一のストリートサッカーに興じていました。
何が言いたいかというと、組織行動は根本的に向いていない気がしてならないのです。仲間の意図、感情が理解できず、建前だけの理不尽さは受け入れられないからです。
今の職場は、1人で業務にあたることが殆どなので、非常に居心地が良いのです。
甘えだ、子供だ、という批判は自分の中でもあります。ですが、精神を削ってまでそれに追従するほどの意味を見いだせません。
就職という選択がベスト、いや、ベターだとは自分にとって思えないわけです。
移住したいし、ネコやその他生き物飼いたいし、作物育ててみたいし、釣りしてみたいし、色々やりたいことはある。
そんなこんなで、生きる道を模索中。
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